ただ撮りたいものを撮るだけではなく、写真に『意味』を感じてほしい。
世の中には、素晴らしい写真を撮る人はたくさんいます。
構図も光も色彩も、驚くほど美しい写真が日々生まれている。
時々、周りからも「どうして『雨』にこだわっているの?」と聞かれることがあります。
でも、答えはとても単純で、個人的なもの。
あの『雨の日に感じる静けさ』を、誰かと分かち合いたからなんです。
雨の日にしか見えない景色がある
晴れた日の光景は、開放的で清々しさがあります。
だけど、雨が降るとその光景は一変してネガティブな印象をもってしまう。
濡れた石畳に映り込む街灯、
曇りガラス越しの輪郭、
傘の内側に響く音。
それらは、誰かにとっては『心の靄(モヤ)』のように感じるかもしれません。
だけど私には、物語の始まりのように思えます。
そんな雨の日だからこそ、人の感情が、少しだけ表に出る気がしてならないのです。
孤独や優しさ、あるいは懐かしさ。
それは、写真という“静止した時間”だから残せる、静かな余韻だと、私は思います。

京都で雨と向き合うということ
私は京都に暮らしています。
この街には、雨が似合う場所がたくさんあります。
瓦に落ちる雨音、
しっとりと濡れた町家の格子戸。
華やかな観光地の光景よりも、誰もいない京の町、傘を差して待つ姿に惹かれるのは、雨というフィルターが景色を優しく包み込んでいるから。
だから、あえて晴れの日にはシャッターを切らないこともあります。
私がいつも「今日、この静けさを撮りたい」と思えるのは、不思議と雨の日なんです。
もしかすると、京都に限らず、探せば他の地域にしかない『静けさ』があるのかもしれません。
その静けさを探し歩き、とくに印象的だったのが大都市の喧騒の中で感じる雨の日の静けさ。それが東京でした。
雨の音さえかき消されそうな大都市の中で、ふとした瞬間に訪れる静けさ。
とくに印象的だったのが、中目黒という街でした。
写真に込めたいものは「静かな感情」
私が大切にしているのは、目を奪う美しさより、心に残る“余韻”です。
雨の日の写真を撮るのは、見る人の心に、“静かな時間”を届けたいから。
それは癒しとは少し違うもの。
忙しい日常から、一歩離れて自分の中の感情と向き合える。
そんな「心の余白」を写真でつくれたら——そう思ったことが、雨の日の写真を撮り歩くキッカケでした。
日常では感じることができない『静かで贅沢な時間』。
心に余白をつくることができれば、どんな困難を乗り越えることができる。
それが、雨の雫が届ける『静かな余韻』です。
まとめ
『なぜ雨の写真なのか』。
その応えは、写真家として「誰かの心に届く何か」を探したとき、私自身が一番、心を動かされてきたのが“雨の風景”だったからです。
この「雨の雫」というブランドには、そんな小さな願いが込められています。
早く届けたいのではなく、静かに優しく届けて、心の余白を大切に考えた、小さな光のようなブランドでありたいのです。
これからも、雨の日の静けさと、その先にある感情のかけらを、一枚一枚、丁寧に届けていけたらと思います。

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