はじまりは、ちょっとした“違和感”からでした。
「幻想」って聞くと、「手の届かない非現実的な世界」と思うかもしれません。
でも僕にとって『幻想』は、日常のふとした一瞬に現れるようなものなんです。
たとえば、
夕方の光がカーテン越しに揺れていたとき。
水たまりに映った空が違う世界に見えたとき。
通りすがりの影が誰かの記憶みたいに感じられたとき。
そう言った何気ない場面(シーン)に心が惹かれて、それを写真に残したくてレンズを向けるようになりました。
僕にはただの『幻想』ではなく、『幻想生活』という言葉がふさわしいのかもしれません。
ー関連記事ー
『幻想生活』って何?
この『幻想生活』という言葉は、僕が作品をつくるうえでのコンセプトみたいなもの。
ざっくり言うと、現実と幻想のあいだを生きるような視点で写真を撮ること。
現実を無理に加工してるわけじゃなく、いつもの風景がちょっとだけ違って見える瞬間を探してる感じ。
実際に写真を撮り歩いていると、喧騒な街の中に一瞬見える『静けさ』があるんです。
僕に撮ってその一瞬は幻想ですが、決して手の届かない非現実的な世界ではなく、日常の中にある幻想です。
それが『幻想生活』なんです。
僕がデジタルアートギャラリーに『幻想生活』と名前をつけたのは、アートが特別なものじゃなくて、“暮らしのなかにある芸術”って思ってほしかったから。
決して押し付けがましくなく、日常の中にある静かな幻想の時間。見たいから見るのではなく、自然に流れてくるイメージ。
それが『幻想生活』です。
写真に込めている想い
僕の写真は何かを説明するためじゃなくて、誰かの心にそっと触れるような、そんな存在であってほしいのです。
例えば、人の多い街を歩いていて、一瞬だけ音がやむ瞬間を感じたことはありませんか?
僕は大阪生まれ京都在住の写真作家で、時々東京で活動をすることがあります。
そんな人の多い街で、ほんの数秒だけ音がやむ瞬間があるんです。

その一瞬の世界が、僕には幻想の世界に迷い込んだかのような感覚になります。

『幻想』って、すごく個性的で言葉にしづらいものかもしれません。
でもだからこそ、人それぞれの感覚で受け取ってもらえる余白があるんじゃないかなと、僕は思います。
「この写真なんか気になる」
「見たことあるような、ないような」
そんなふうに思ってもらえたら、それだけで嬉しく思います。
写真作家だから描ける幻想の裏側
2017年から2021年まで、僕はデジタルアートを作っていました。
グラフィックデザイナー時代に身につけたPhotoshopを使ったアート作品。
当初は素材を一つ一つ切り取り、その素材を合成して作品をつくっていました。
例えば、こちらの作品。

いつしか写真撮影にのめり込んで、写真家の道へと進み始めました。
数年間、写真家として活動を続けてきて、東京での活動を始めたことがきっかけで、自分らしい写真作品を見つけることができました。
自分らしい写真とは、幻想と日常の間にある写真。
だけど、写真だけでは表現しきれない部分があります。それは、日常の中で体感したほんの一瞬の静けさです。
大阪の街を撮り歩いたあの日、街がふと静かになった。
時が止まったような一瞬に、僕は幻想を見たのかもしれません。
僕にはその静けさが、『幻想生活』に思えたんです。
手の届かないものではなく、日常でも感じることができた『幻想生活』。
今の時代だからこそ、パートナーとして受け入れることができるAI生成ツール。
手を抜くのではなく、僕自身が撮った写真をベースに、幻想の中にある静かな世界を再現してくれる、僕のパートナーです。
写真作家だからこだわる、AIと共同で作る新しいデジタルアート。
普段から、写真と言葉でコラムを書き続けている僕だから作れるAI生成アートがあります。
最後に、小さなお知らせ
そんなふうにして生まれた作品たちを、今はArtgeneの『幻想生活ArtRyo』というページで公開しています。
よければ、静かな世界のかけらたちを、のぞいてみてください。

