デジタルアートを制作していると、こんな質問を受けることがある。
リョウさんのアート作品のアイデアはどこから浮かんでくるの?
デジタルアートのアイデアが浮かんでくる方法はいろいろあるが、好きな映画を見ていると新しいアイデアが浮かんでくることが多い。
時にはアートをつくっている最中にアイデアが浮かんでくることもあるが、あまり効率が良いとは言えない。
なぜなら、せっかく制作した作品の一部分を変更したことで全体のイメージが合わなくなっていまい、もう一度制作し直すこともあるからだ。
できればラフ画の段階でバランスを確認して、制作に集中した方が良い。
今回の記事では、僕のデジタルアート作品のアイデアは映画を見ることでその世界観が生まれることについて話そうと思う。
※ただし、これまでに映画の風景をそのまま作品に落とし込んだことはないので、そこは理解しておいてほしい。
目次
芸術的発想は好きな映画から浮かぶ
僕はアート作品をつくっていると「新しいアイデアが浮かばない!」と悩むことも多いが、そんな時は必ず気分転換をするようにしている。
無理に作品制作に集中して焦りが出て、イメージと違う作品になってしまうと作品がボツになり、制作時間が勿体無いと思うからだ。
そんな時は気分転換に、カフェに行ったり、散歩したり、映画を見たり、写真を取りに行ったり。そうすることで、作品のアイデアが浮かんでくるのである。
特に僕は映画を見るのが好きなので、約2時間の映画を見て気分を変えることに集中する。
僕がよく見る映画のジャンルは、
- 推理サスペンス
- ヒューマン
- アクション
- SF
が多く、その中でも幻想的で不思議な世界観を表現した映画が好きだ。
僕が好きな映画は、幻想的で不思議な世界観を表現した映画。
その映画を見ると、芸術的な発想が湧いて作品のアイデアがどんどん浮かぶ。
芸術的な世界観の宝庫
その中でも、とくに芸術的な発想が浮かびやすい映画が『アリス・イン・ワンダーランド(不思議の国のアリス)』だ。
子供の頃に絵本を見たことがあり、子供ながらに『不思議な世界』と思ったのを覚えている。
それが現在までに、色々な監督が実写版『アリス・イン・ワンダーランド(不思議の国のアリス)』を制作している。
主人公のアリスが迷い込んだ世界の風景や、そこで出会う人たちの何とも言えない不思議な話の物語で、序盤からかなり心が引き込まれるシーンになっている。
そんな実写版『アリス・イン・ワンダーランド(不思議の国のアリス)』と同じように、衝撃を受けた不思議な映画を見つけた。
その映画は『BIG FISH(ビッグ・フィッシュ)』と言う映画である。
不思議な世界観の映画『BIG FISH』
芸術好きなら『BIG FISH』も見ておきたいもの。
『BIG FISH』は、2003年にティム・バートン監督によって製作された不思議でファンタジーな物語。
主演はスコットランド出身の俳優、ユアン・マクレガー 。
なぜ『BIG FISH』が、芸術的発想を浮かばせるのに良い映画だと感じたのかと言うと、映画の中に出てくる風景は不思議ではあるが実際にありそうな違和感がない風景。
だけど、どこか不思議な感じがしてどんどんその世界に引き込まれていく感じ。
さらにおとぎ話のような不思議な回想シーンや現実的なシーンが交互に描かれていて、見ていると芸術的発想な部分がとても刺激を受ける。
もしかすると、インパクトのある芸術的な不思議な風景と、日常的な風景とのメリハリに心が刺激されているんだろう。
物語の中の台詞にも刺激を受ける
『BIG FISH』は、他の映画に比べると台詞は多い方だろう。
回想シーン(主人公が若い時代)では、冒険心のある主人公が興味をそそる話し方をしていて、人と話すときの参考になる。
一方で、現代のシーン(おじさんになって)では、落ち着いた口調で過去に自分に起きた不思議な出来事を話している。
この同じ主人公(過去の自分と現代の自分)で対比するような話し方が、飽きさせずに次のシーンに何か起こると言う期待感を持たせる。
字幕(文字)を見ているだけでも頭の中で不思議な世界がイメージできるくらい、言葉の選択や例え方がユニークである。
そして人間関係についても「大切なものとは何か?」ということを考えさせらるような、メッセージ性のある台詞になっている。
この映画の特徴は、メインとなる父親とその息子の間にできた微妙な距離感。
その距離感を埋める為に、今自分に必要なものが何かを考えさせられる映画でもある。
どんなことでも、自分の思いを相手に伝えることはとても難しいこと。
だけど『BIG FISH』のセリフのように、ストーリー調に伝えることで心を引き込ませることができるのである。
親子の絆について書かれた物語と夢のような話
父親が今までに不思議な体験してきた出来事。
父親のユーモア溢れる人生
父親が母親との奇跡的でユーモア溢れる出会いをした話を、息子が幼い頃からずっと聞かせてきた父親。
しかし、成長して大人になった息子は、そんな嘘のような話を聞かされ続けてきたことで、
「これまで父さんがしてきた話しは全て空想話だ。もういい加減、本当の話が聞きたい!」
と父親に向かって怒鳴ってしまう。だけど父親の言い分は、
「お前(息子)が素直にわたしの話を聞こうとしないだけだ!」
と言い返し喧嘩になり、さらに父親と息子の間にある不信感が募っていく。
死が近づく父親
二人の親子の距離は一向に縮まることはないまま、父親はある病気が原因で死を待つことになる。
そんな父親の本当の話を知るために、これまで父親の話に出てきた人に会い、話に出てきた場所へ向かい、本当の父親の姿を聞き出そうとする。
しかし、訪れた場所も父親の話に出てくるような場所、会う人の話も父親から聞いた話に似ている。
もしかして、おとぎ話のようなあの話は事実なのか?と思い始めていた。
感動のラストシーン
父親の病状はどんどん悪化し、病院へ運ばれることになる。
それまで父親のおとぎ話の真相を知るために飛び回っていた息子は、父親が病院に運ばれたことを知り急いで病室に向かう。
そこではもう、起き上がる気力がなくなった父親がいた。
そんな父親を心配そうに見ている息子に向かって、父親が話し始める。
「私がどんな最後を迎えるのか話してくれ」
当然、息子は困ったと言う表情をする。
しかし、父親がこれまでにしてきた『おとぎ話』のよな体験を思い出して、今度は息子が父親に『おとぎ話』のような父親の最後を話し始める。
これまで父親が話してきた世界を想像しながら、父親のおとぎ話に寄り添うように。
「父さんはこれまでに出会った人たちに笑顔で見送られて、大きな魚になって湖へ帰っていった」
と。
そして場面は父の葬儀のシーンへと変わり、父親が出会った不思議な人たちに見守られてその一生を終えた。
これまでに父親が冒険した話は本当!?
全てが実話ではないが、出会った人訪れた街は実在したと言うところでエンディングを迎えるが、父親の話の中には盛っている部分もある。
だけど父親にとってみればその『おとぎ話』は、本当に自分が体験した話だったのではないだろうか。
この話には、人に夢と希望を与えれる偉大な人物になれというメッセージが込められていると僕は思う。
僕がこの映画に感じたことは、真実を聞き出そうと自らが行動する息子の姿。
たとえ父の話がつくり話であったとしても、同じ人生を過ごしていくのなら『夢』を見ながら過ごしていくことで『幸せ』になれるのではないのだろうか。
僕がつくるデジタルアートは、不思議で幻想的な世界を表現している。
もし実現できない世界があったとしても、『夢』を与えて『幸せ』になってもらうことはできるのではないのだろうか。
僕はそんな、身近に感じてもらえるデジタルアートをつくりたいと思っている。
最後に
僕が芸術作品をつくるときのアイデアを浮かばせるためにしていることは、気分転換に映画を見たりカフェに行ったり写真を撮りにいくこと。
特に、映画を見ていると新しいアイデアが浮かぶことが多く、無理に作品制作に集中することはしないようにしている。
その理由は、アイデアが浮かばなくなってしまうことで、芸術作品の質が下がってしまうかもしれないからである。
デジタルアートをつくるためには、作品のクオリティーを上げるだけではなく、心と時間にゆとりを持つようにもしている。
それが僕の芸術生活の質を上げてくれるのかもしれない。
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